トランペット時々パチンコ

「勝つのは100人に1人だ」と人は言う。その通りかもしれない。
だが、そんなことが私の知ったことだろうか。

稼働休んでトランペット

今日は日曜日。
副業のバイト。


朝の電車に乗って座席に座ったのだが、俺の斜め前に妊婦さんが立った。
年のころはそうだなあ…20代中頃くらいだろうと思う。


どうしようかなあ、と迷ったが、妊婦さんの真ん前に座ってる若い女は無頓着なタイプのようだし、その他の人も疲れてるのかなあ、自分のことで精いっぱいの様子で。


俺は「あ、どうそ座ってください。」と、席を譲った。
俺はどうしようもなく、知らん顔ができない性分なのだ。
そう、どうしても気付いてしまうのだ。


本当なら、鈍感にないたい!


このどうしようもない性分のおかげで、嫌な思いも一杯してきたし、逆に楽しいことも一杯あった。


まあ、俺は損得で生きてるんじゃなく、本能で生きる人間なのだ。
仕方がないよ。


考えてみれば、席を譲るという行為は、単なるエゴなのかも知れない。
エゴを押し付けてるに過ぎないのかも知れない。


だけど、そんなことを考えてると何も始まらない。



彼女はニッコリ微笑んで、「ありがとうございます。」



よかった。



こんな時、断られるのが一番辛い(笑)



素直な人で良かった。



人間、素直が一番かわいい。



彼女が電車を降りるとき、頭をペコリとさげて、「どうもありがとうごいざいました。」とニッコリ微笑んで降りる。


「無事に元気な子を生んで立派に育てておくれよ。」と心の中で見送った。



こんなちっぽけな事でも、今日一日何だか頑張れそうな気がするのが不思議だ。


人間嫌いなのにね(笑)



さて、パチンカスとしては暇さえあれば打つのが掟だ(笑)


だが、今日はなんだかパチンコを打つ気にならなかった。


そこで、近くのスタジオを借りてトランペットの練習に行った。


ん~、まだまだである。


高い音を続けてると疲れて長い間もたない。


もうちょっとスタミナをつけなくちゃ。


今練習してるのは、ゴッドファーザーPART2。


ニーノ・ロータの旋律がとても心地いい。


続けて吹けるように頑張ります!



明日は、久しぶりに休みをとった。


久しぶりに目覚ましを掛けずに、自然に起きるまで寝よう。


起きたら、やっぱりパチンコかな(笑)

病気だと思う。

人と一緒の皿で食べることや、人の食べものをもらうという行為が苦手だと昨日の日記で書いたが、これは当然今に始まったことではなく、子供の頃からである。


多分病気なのだろう。


例えば、部活の合宿時などで差し入れられたおにぎり。
友達のお母さんが握ったおにぎりなど。



無理である。



でも、普通に惣菜屋などで売ってるおにぎりは大丈夫なのである。



親戚のおばさんの家に遊びに行かされようもんなら地獄である。
夕食にカレーなんか出てきたら、内心泣きながら無理やり食べていた。



これが大人になると治るのかというと、少しは緩和されるものの基本は治らない。


我々世代が「新人類」と呼ばれた社会人になりたての若かった頃。


会社の先輩が、「今日昼から出かける用事ができちゃったんで、これ食べてくれよ」と先輩の奥さんが作った弁当を差し出してきたが、丁重にお断りした。


弁当の中身はどうでもいい。
例えどんなに美味しそうであっても無理だ。


先輩や上司の家に行くのも絶対お断りだった。


遊びに行って買ってきた惣菜ばかり出てくるならいいが、そんな家は殆どない。
奥さんの手料理が出て来るに決まっている。


無理である。



今54歳。


誰かと飲みに行って、俺が食べてるものを、
誰か「あ、それ美味そうだね。ちょっと頂戴!」
俺「ダメだよ!食べたきゃ頼めばいいじゃん。」


というのが基本姿勢。
これは性別問わずなのである。


ふいをつかれて食べられた時は、
「あ、それもういいや。全部あげる」


多分、こいつはよっぽどのケチ、あるいは心の狭い人間だと思われてることだろう(笑)



この世が食糧危機に陥ったら、誰よりも真っ先に俺は餓死するだろう。